昭和41年08月25日 夜の御理解
(?)話からでございましたけど、椛目がいまこうした御造営のさなかで、まぁ色んな意味で難儀を致しております。ですからある所へ、私が金が少し足りんからどうかならんだろうかと、相談に行ったら、恐らくその方は、大変もう恐らく本気になって、それは(?)心配してやらじゃくてちいうて、まぁあちこちまぁその方も、お金が足りんですから、そのよそにでも行って、そのまぁ心配でもして、本気で心配して下さるだろうと、言う訳なんです。
けれども心では、それはよかとこやりよる、てそのまぁ思われるだろうというて話した事ですけれども、人間の心の中にはに、確かにそう言う様なものがありようですね。これが同じ同職でありましたり致しますと、あちらば大変困っちゃるげなと、聞くと嬉しい。繁盛しござると聞くと妬ましい。人間のこのぎりぎりの心の中に、そういうものがあるのじゃないでしょうか。この頃同職の何々さんは、もうちょっとどんこん出来んごつなっちゃるげな。
そうりゃ困ったこつじゃのと、口で言いながら心では何か心良いものを感じておる。それが信心の世界何か、そう言う様な事がある。もう勿論あっちゃならんように思うけれども、信心の世界でもやっぱりそれがある。あぁあちら教会どうかこちらのどうかと、とにかく聞いてみたい。そしてそのえらいごひれいがたっちょるげなといや、やっぱりその妬ましい。あそこは困っちゃるげなといや、何となしに心良い。
そんとはなしに、確かにその厳密にいうとそういう心がある。そういう心が神様に一番嫌われる心なのですから。そういう心に、私共はそういう厳密に自分というものを見極めて、厳密にそういう心取り組んでおかげを頂いてこなければならんね。本当に勿論なら例えば、ごひれいが立ちよるげなと、こちらは繁盛しよるげなと、言われた時に本当に心から喜んであげれれる心。そういう心が私はどうでも神心というでしょう。
四神様は『信心させて頂いて憎い可愛いという心。恨み妬みと言う様な心を取り払うたら楽じゃ』と、こう仰っておられますが。私共の心の中にそう言う様な、本当にこの憎いとか可愛いとか。可愛いというのは、可愛いと思う心は、神心という、あぁあれではない。もうその人だけが可愛い、その者だけは可愛いという、あぁいう偏見な可愛い有難と言った様なものは、神様の機感にはかなわんのだ。
もうあれもこれも一応に、可愛いと言う様なその心。そういう心が神様が喜んで下さるのであって、あれが可愛いけども、これは憎いと言った様な心ではない。ですからそう言う様な心に私共は取り組んでいかなきゃならん。ほんとにそのですね、大変難儀をしております時には、ほんと本気になって心配をして下さる。でそれが今度は少しなら儲け出したりすぐよくなったりすると。
今度はその世話しよった人がほんやあの人達がああだったけども、今儲けでんちゃるげなち話を聞くと腹も立つ。あぁもんなんともん、どんこん出来ん時うちからしてやったちゃけんち。言う所な事を言いたくなってくるね。ですからこれはもう信心させて頂く者の厳密にですね、自分というものを見極めて、こういう心があったんじゃまだ自分というものは、まだおかげを受けられんと、言う所にです。
その自分というものをいよいよ本気で深めさせてもらって、見極めさせて頂いてそういう心がです。ほんとに今までは妬ましい思っておったのに、今までは嬉しく思われなかった中にです、嬉しい思いたり、妬ましい心が却って一緒に喜んであげれたいと言う様な心の出来れる。そういう心の状態を求めて、またそれを心の状態を願っての信心にならなければいけないと思うんですね。皆思ってみて下さいあるんですよ、やっぱりそう言う様な心が。だけんそれがそれではやはりおかげは受けられないと思うんですね。
どうぞ。